アメリカでお茶をいれる人のブログ。

by natural yellow woman. 日本茶インストラクター16期。福岡出身で八女茶をこよなく愛しております。カフェインに弱いのがたまにキズ。San Francisco(というよりは)East Bayでふざける人の日記。

謹賀新年/東北旅行その3

さて、その3。

悩んだけど、自分の忘備録も含めて書くことにしました。

一関を出発し、陸前高田のほうへ向かいました。

山を越えたら、信じられない光景が広がりました。

なんにも無い。大小のコンクリが一面続きます。ずっと、ずっと。

9ヶ月たって、まだ残っていた船。

どれだけの面積がこの状態なのか、

どんな音が聞こえてくるのか、

どれだけ寒いのか。

テレビでの映像と、

実際に行ってみたのとでは、

違いがありすぎる。かけ離れている。

復興とか、これから、とか、

全然そういうんじゃない。

一本松とか、そんなんじゃないんだよ。

私は何も分かっちゃいなかったんだ、と思いました。

その場で立ち尽くして動けなかった。

9ヶ月たっているのもあり、

がれきはかなり片付けられていて、

ぱっと見たところ、人が住んでいた感じが全くしなくなっています。

そんな場所に降り立ったことのない私達の脳は、「なぜ?」でいっぱいになりました。

車を降りてみたところに、たまたま

割れた茶わんとお皿、農協のバッチがまとめられていました。

ここに住んでいた人がいたんだ。

実感できたとたん、涙が止まりませんでした。

海は、何もなかったかのように静かで、綺麗で、透き通っていて。信じられませんでした。

・リアス式なので山谷になっており、山のほうだと被害を免れている地域もありました。私も我が夫も、地域全壊のイメージだったので驚きました。

ほっかほっか亭の大きなトラック店舗、

イオンがコンテナで店舗をやっていたのが心強かった。ありがとう、ってつぶやきました。

石巻では、住宅地を車で通ったんだけど、

平地にポツリポツリと家があって、

洗濯物を干していたのが印象的でした。

・「支援してくれてありがとう」と色々な場所に貼ってあるのを見て、心の暖かさを感じて、私達が逆に励まされました。

被害にあった人達の心境は、計っても計り知れない。

ちっぽけな存在だけど、なんとか、力になりたいよ!

この地を離れるときに、前日に見た紅白の長渕さんの歌を思い出して、また、涙が出てきました。

自分の目で見て、本当によかった。

この地の変化を、これから見つめていこうと思います。

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