親になってわかった、親のこと。
ようやく暖かくなってきましたね、レイコです。
育児ブログと化してますが、まあしゃあない。(笑)
里帰りして、出産→育児。
両親と過ごした貴重な時間、感謝の気持ちをここに綴っておきたいと思います。
里帰り出産を決めて、東京に戻るまで。妊娠期2ヶ月、産後2ヶ月。
約4ヶ月、福岡の実家でお世話になりました。
両親ともにすでに退職してるので、2人ともぼけーっと過ごしてるところに飛び込んだ私(笑)
お腹が重かった時はまさに上げ膳据え膳状態。
久しぶりに、ご飯が出てきて、掃除洗濯をしないという生活に。
贅沢極まりないっ。
なんなの、私ダメな人間になるわよ(笑)
よく考えたら、実家生活は約7年ぶり。
ずっと暮らしてきたこの家に戻ってもう一度暮らせるだなんて、タイムスリップしたような不思議な感じ。
それも、我が夫が私を気遣って、里帰り出産をすすめてくれたおかげだよねぇ、と感謝しながら臨月までのんびり暮らしてました。
で、出産後!
毎日両親ともに産院に足しげく通い、赤ちゃん誕生をこれでもかっと喜んでくれました。ここまで通うジジババは一組もいなかった。すごいぜ…(笑)
病室で、うちのお母さんが赤ちゃんを抱っこしている時。
正直、今まで見たことない位の嬉しそうな顔。
とろけてる?とでもいうのか。
その顔を見て、
「ああ、自分は初めて親孝行をしたのかもしれないな。」
と感じた。
実は何年にもわたって耳にタコができるほど「子供はまだか!?」攻撃をしかけられ。
私は「けっ、ウルサイわっ」といって冷戦?状態。
基本的にずっと好き勝手してきた娘ですよ…。
想像以上の喜びように、こっちが心打たれてしまった。
で、退院後!
とんでもなく寝ない&泣く赤ちゃんが実家にやってきた。
そんなことお構いなしに、嬉しそうな顔を毎日みせる、うちのお母さん。
抱っこされてる我が子。
ベットでは寝ない赤ちゃんをひたすら何時間も抱っこしてくれたり。
産後で朦朧としてる私を気遣ってか、強引に赤ちゃんを引き受けて寝かしつけてくれたり。
赤ちゃんが夜何度も起きるたびに、私と一緒になって起きてはオムツを替えてくれたり。
固くなった私の乳房をみかねて、夜中なのに手を滑らせながら何十分も搾ってくれたり。
ちょうど乳腺炎になったタイミングが、すき焼きを食べた後だったせいで…自分が炎症を起こさせてしまった、と涙目に。
その後の食事は全て油無しのものを別に用意してくれたり。
うちより先に、確実にお母さんが倒れる…
と心配したほど、不眠不休で赤ちゃんのことだけじゃなく、私のことも面倒をみてくれた。
お父さんは、実家ではいつの間にか洗濯担当になっていて、赤ちゃんの洋服やタオルなど、とんでもない量を毎日毎日せっせと干してくれたり。
乳腺炎騒動の時は、産院や桶谷式相談室へ文句も言わず車で送ってくれたり。
こぶしの効いた子守唄を歌いながら、毎日抱っこし続けてくれた。
この両親は私を甘やかしすぎだ、とも思うし、二人のやり方がいいわけじゃない、とも思う。
けれど、
2ヶ月の間、二人とも全く手を抜かずに、私と一緒になって赤ちゃんを一生懸命育ててくれた。
私、自分の両親のことなんて、これっぽっちも分かってなかったんだよ。
自分に向けられてきた愛の深さに、全く気づいてなかったんだよ。
この三十数年間、自分で生きてきましたー、みたいな顔してさ。
どれだけ可愛がってもらってたのか、守ってくれてたのか。
何も言わずに動いてくれるたび、隠れて泣いてた。
出産して親の立場になって初めて、無償の愛がわかった。
毎日毎日、ありがたすぎて。
涙が止まらなかったよ。
東京へ帰る日。
空港まで送ってくれた両親。
ゲートの通過待ちで、ふと振り返ると、
大粒の涙をこぼしながら、お母さんが手を振っていた。
2週間前にあった娘(私の妹)の結婚式でも泣かなかったのに。
まさかだよ。
堪えてた淋しさ、感謝の気持ちが溢れてきて、涙が止まらなくなった私。
「がんばるからね」
と、両親に手を振って、前を向く。
こんなに可愛がってもらって、私も赤ちゃんも幸せ者だよ。
4ヶ月間、ありがとう。
飛行機の中。
スヤスヤと眠る我が子を見て、
「自分の両親と同じくらいの愛情をもって、この子を育てられるのだろうか、わたしは?」と自問せずにはいられなかった。
二人の子供に産まれて、本当に本当に良かったよ。
いつの日か、
この子にもそう言ってもらえるような母親に私もなりたい。
…結局長くなってしまいました。
そして、自分で読み返してボロボロ泣いてしまいました(笑)
感情的になっちゃってすんません。
でも、両親ってのは偉大なもんですね。
次回は
産後による心の乱れについてです。
ホルモンの怖さを思い知るのであります(笑)
お楽しみにー!